じつは今年に入ってから(その少し前から)なんだか時間に追われて余裕のない日々が続いている。

そんな時ほど、心はどこか遠くへ、思いを馳せたりするもので、今までに旅した記憶からまだ行ったところのない土地まで、なにかしている間も、私の心は羽をつけて飛んで行ってしまう。

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忙しさを理由にする訳ではないけれど、先日、洗濯物を数日そとに干しっぱなしにしてしまった。

早朝に干したのでまだ暗がりのなか、天気が崩れる気配に不覚にもきづかずに、家をでた後にシトシトと降り出した雨はその後数日降り続き、なんとなく取り込むタイミングを逃したまま、そのまま雨ざらしとなっていた。

やっと晴れた日に、すっかり乾いた洗濯物を再度洗い直して干しながら、ルーマニアで見た不思議な光景をおもいだした。

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ルーマニアでは、雨の日に洗濯物を外に干したままにしているのを度々みかけたのだ。

最初は首都のブカレストで雨の日に、きっと急に降って来て予測できなかったのだろう、とずぶ濡れの憐れな洗濯物を眺めていたのだけど、その後もあまりにあちこちで見かけるのでいつしか写真に撮るようになっていて、田舎にいってもおなじように雪の中に干されたままの洗濯物をみて、不思議になって人に訊いてみた。

数人に訊いてみたのだけど、皆一様に「なにがおかしいの?」という反応だった。

まるで雨の中のほうがよく乾くのよ、といわんばかりだった。

結局、最後まで完全に納得のいく答えは得られなかったのだけど、最後にブカレストの友人によれば、たとえば空気が冷えて凍るときに洗濯物の水分が吸われてパリッと早く乾くとか、すこしだけ科学的にも納得がいくような(?)そんなことを説明されたような気がする。だけど雨の日は??ただ濡れるだけだよ?凍るの待ってるの?

ルーマニアの冬は寒い。たしかにいつも氷点下になることが多く、たまたま私がいた時期が雨だっただけなのかもしれないけど。

どこの土地の人に訊いても、それ以上の答えはなかった。

きっと、それがルーマニアの常識で、風習というものなのかもしれない。

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日本人の私の常識と感覚からすれば、それはやはり不思議な行為で理にかなっているようには思えないのだけど、世の中にはいろんな常識があるものなのだ。

ふと、なんとなくおもったのは、きっとルーマニアでは雨が汚れているかもしれないという意識はまったくないのではないだろうか。

首都のルーマニアでは交通量も多くて排気ガスを出した車がたくさん走っているとはいえ、すこし前までは馬車が普通に走っていたそうだし、田舎はまだ長閑な中世の面影をのこした暮らしが残っている地方もあり、大気汚染だとか酸性雨だとか、そういう発想はもしかしたらないのかもしれない。

だから雨であろうがなんだろうが洗ったら外に干して、そのうち自然にお日様が出て乾いたら、取り込めばいい、という感覚なのかも。もともと濡れているものが雨に濡れたって、なにもかわらない、っていう意識なのだろうか。

 

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いちど雨にぬれた洗濯物を、乾いたからといってそのまま取り込む気にはなれずに、もう一度洗い直した私は、その違いについてあらためて考えてみた。

知識や常識の問題だけじゃなく、いまの日本では’雨に濡れる’ということに少し敏感にならなければいけなかったりもする。そこまで神経質にならなくても暮らしていられるのかもしれないけれど、やはりどこかで目に見えないものの影響を密かに怯えて、騙し騙し生活しているところがあるかもしれない。

あたりまえに吸っている空気や大気を、心から信用することがむずかしい。

ルーマニアのように、そこにある自然を、空気や雨がもしかしたら害をもっているかもしれないなんて疑う事なく暮らせたら、それがどんなに素晴らしいかと想像してみた。

たとえ原発の事故がなくても、日本はそんな環境をずいぶん前に失っていたのではないだろうか。

今となっては、そういう環境を日本にとりもどすことができる日はくるのだろうか。

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そんなことまで考えながらも、ただ私は単純に、旅に出て、世界をみて、こんなふうに洗濯物にかんする小さな自分の常識さえも簡単に覆されるのがとても面白いなあ、とそうおもっているのである。

 

 

香港の街角で親切なおばさんに出会った。

中環にあるピークトラムの傍を歩いていて、都会的な建物の間にぽつんと佇む小さな花屋さんが気になって、通りすがりにふとのぞきこんだ。そのまま通りすぎたのに、中にいたおばさんが追いかけてきて、少し先まで歩いていた私たちを手招きして呼び戻してくれた。

少し不思議におもいながらも戻って話をしてみると、この花屋さんはもうここで60年ちかく営業していてとても古いんだ、というお話など、「日本からきた」と伝えると「日本はいいところだ」と親指をたててとても嬉しそうに話してくれた。

正味数分の会話をしただけだけど、おばさんの暖かい人柄となぜか突然うけた熱烈な歓迎がずっと心にのこっている。

一緒にいた香港人の友人は、香港ではとても珍しいことだ、と驚いていた。すこし自虐的に、香港には’いい人’はいないから、と。それはどうかわからないけど、たしかに地下鉄などでは殺伐として悪態をつく人も見かけたし、日本人からするとすこし気性が荒くかんじる話し方など、彼の言いたいこともすこし分かる気はする。

だけど私には、そのおばさんの笑顔だけで、香港の人みんなを好きになれるくらいの威力があった。

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旅(旅行、観光でも)に求めるものは人それぞれいろいろあるだろう。

私も、もちろんいろいろな目的があったりするけれど、結局いちばん心に残っているのは、こういう小さな出会いであったり、人との触れ合いなのだろうとおもう。

だからか、日本にいて海外から旅行で来ていると思われる人をみかけると、とりあえず微笑んでしまう。出来るなら親切にしてあげたいとおもう。そしてどこかで、そんな連鎖がひろがっていったらいいな、ともおもっている。

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人生で、それを知る前と知ったあとでは世界が変わってしまうような経験て、いったい何回あるだろう。

本当に些細な出来事でも、それをきっかけに世界が一変して見えるような、そんな出来事との出会いが、それに気付けるかどうかが、人生を大きく左右する。

それを感じてしまうと、目に見えるものすべてが輝きだして、愛しくなる、そんな気持ち。

それは心揺さぶる音楽との出会いかもしれないし、文学や映画かもしれない。恋愛や人との出会いでも、芸術との出会いでもある。
きっと私にとっての最初の大きなそれは、旅だったかもしれない。
 
初めてNYにひとりで行ったときに感じた興奮は、私の人生を変えたし、きっと今でもその感覚が心にあるかぎり、私はどこにいても幸せになれるし、今回のような旅先での小さな出会いがくれた感謝の気持ちは、いつも私にそのことを思い出させてくれる。
 
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「われわれの人生には、いくつかの決定的な瞬間がある。一日のうちにもそんな瞬間がある。日常を超えた何かを見たように思える瞬間。それがあればこそ、人は現実を理解できる。それは、最高に幸せになれる瞬間だ。人が偉大な叡智に触れる瞬間といってもいい。人が見たものを、なんらかの記号によって再現できないものだろうか。そんな希望のなかから、芸術は生まれた。その道にはなんらかの標識があってもいい。偉大な叡智に向かう道の案内板である。」

ロバート・ヘンライ

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一年でもっとも日の短い日は過ぎ、少しずつ日は長くなっているはずなのに、まだまだそれを感じられる陽気は遠いようで、暦どおりの大寒の寒さがここのところ続いている。
今朝は東京でも今年初の積雪で、朝起きると一面真っ白な世界だった。
 
個人的には、雪も好きだし、今日のように冷えた朝の澄んだ空気はとても好きだ。
吐く息が白くなるだけで、自分の体の暖かさを実感しているようで、なんとなく浮かれてその行為をしてしまう。
雪にも寒さにも大丈夫なお気に入りの防寒具をこの機会にだせると思うと嬉しくもなるし、そうやって寒さも楽しむようにしている。
それでも、先週末のようにお日様の見えない日は気も滅入るし、体が芯から冷えてるようにかんじる今日このごろは、ふと去り際の香港の春のように暖かな陽気が、まるで遠いことのように懐かしくて、恋しい。
 
香港には仕事で訪れていたので、すこし長い滞在だったのに自由な時間はあまりなかったのだけど、お陰で観光では行かないであろう場所にもいろいろと行くことができて、ビルが立ち並ぶイメージしかない香港では意外だったのだけど良いハイキングコースが多いらしく、本土(中国)に近い田舎の山のほうへも行く機会があった。
もともと香港は山なので坂が多いのだけど、少し街を離れるだけで豊かな緑の山々が広がっていて、長閑でダイナミックな景色を楽しむことができるのは驚きだった。
もどって写真を整理していると、それでも冬なりに寒かったはずなのに緑豊かで暖かそうな景色と、あらたに知った香港の魅力に心を鷲掴みにされているのをかんじる。
 
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ちょうど今ごろ香港では、チャイニーズニューイヤーを祝っているころだろう。
 
仕事ではあったのだけど友人の家に泊めてもらっていたので、クリスマスには友人の家の家族行事に参加することができて、たくさんの豪華な手料理をいただいた。
私も友人の10歳の従兄弟のSarahと一緒に、大量のポテトの皮をむく作業を手伝い、最近の日本では少なくなってしまったようにおもう大家族の賑やかな集いに、なんだか暖かい気持ちをもらい、とても楽しませてもらった。
以前に香港に出張で1人で行ったという友達が、美味しいものを食べようとおもうと香港はひとりではさびしい、と言っていたのを思い出して、たしかに中華は円卓を囲んで大家族や友人が大人数で食事をするのが基本なのだろうと納得した。
きっと今頃も、最長老のおばあちゃんを囲んでさらに賑やかに家族があつまり、また豪華な料理に舌鼓を打っていることだろう。またみんなで麻雀をしているかもしれない。
 
私はそんな香港の旧正月に思いを馳せながら、友人のお父さんが作った最高に美味しいカレーを思い出し、寒い東京でひとりコトコトと部屋を暖めながらカレーを煮てみたりしている。。
 
Happy Chinese New Year.
 
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2012年、新しい年が明けて、もう1週間以上が過ぎた。
皆さんはどのように新年を迎えられただろうか。
 
お正月気分も抜けて日常の慌ただしさが戻ってくると、ふと年が変わっただけでなにがそんなに違うのかと不思議になるけれど、実際には何かが劇的に変わるわけでもないのに、私はまるで自分自身が細胞から生まれ変わったかのように新しい自分になれる様な気がしていたりする。
現実には歳をとっていくだけだというのに、この清々しい気持ちはなんだろう。
脱皮のように古い殻をすべて昨年に脱ぎ捨て、過去のことはなんだか遠い記憶のように懐かしくすら感じる。
年の終わりには、1年が早かったと嘆いていたというのに、たった一日またいで年が変わっただけで自分の意識が都合良く変わっていることに驚いてしまう。
「今年こそ」と目標をたててみたり、新しい年に希望を膨らませたりする。
 
毎年おなじようにそれを繰り返しているのだから、デジャブのように感じることがあってもおかしくはないのかもしれない。
 
年が明けてもどった静かな部屋で、いつになくスッキリと片付いてぱりっとした空気のなか、不思議なデジャブのことを思い出した。
 
ある年のNYのお正月、カウントダウンに合わせて日本から訪ねてきていた友人達にホテルを手配した。
そのホテルは最初に自分がNYに下見に訪れたときに利用して以来、何度か友人が泊まりに来たりして訪ねたことがあり、オーナーのカルロスとは顔見知りだった。たしかコロンビア出身のカルロスとは、そのころまだいまより少しスペイン語がはなせたのもあってすぐに打ち解けたし、なによりカルロスがほぼ自分でデザインしてリフォームしたというホテルの内装やアットホームな雰囲気がすごく素敵で大好きな場所だった。
年が明けてすぐに日本にもどっていく友人たちをホテルまで見送りに行き、お別れをして送りだしたあと、ひとり残った私をカルロスが夕飯に誘ってくれた。これからチキンを焼くから食べて行かないか、と。
East Villageの隅っこにある、ホテルといってもカルロスの自宅も兼ねた大きなロフトは、冷え込んだ外の空気から守られてとても暖かかった。カルロスの友人でもありゲストのスイス人の男性と3人で楽しい宴がはじまると、そこから私の意識は記憶がもつれて、なんともいえない不思議な感覚に陥ってしまった。
今まで感じたことのないようなデジャブに襲われ、一瞬一瞬ではなくて、その前の年も全くおなじようにここでこのメンバーで食事をしたように思える。会話の内容まで同じような気がする。きっとワインでほろ酔いのせいで、長いデジャブなんだとおもって過ごしていたのだけど、帰り道、人気のない静かな夜の道を冷たい空気で酔いを冷ましながら記憶を整理しつつ歩いていると、前の年に私は友人にカルロスと親しくなったことを報告していたことを思い出し、食事に誘われたのは2度目だったような気がしてさらに混乱してしまう。もしそうなら、なぜ1度目を忘れてしまっているのかわからない。
未だにこのときの記憶は混乱したまま、ただの長くて鮮明なデジャブだったのか、あまりにも似た経験が前の記憶に上書きしてしまったのかよくわからないのだけど、とても静かなNYのお正月の夜に過ごした、思いがけなく楽しい素敵な夜の記憶は今も思い出すとたまらなく私の胸を暖かくしてくれる。
 
この感覚は、新しい年への期待感と一緒になって、年初のいつもとは違うどこか澄んだ静かな空気を吸うといつも思い出される。
 
 
昨年のご来光を見に行った写真とブログを見直してみて、震災の前に自分が書いていたことが奇妙だなとおもいつつ、震災を機になにかが変わったように感じていた自分もいま改めて大きく変化していないように思うところをかんがえると、来年にはまた何も変わっていなかった自分に出会うのかもしれないのだけど、たとえ人生がデジャブのようにもしかしたら忘れてしまっているだけの同じ事の繰り返しだとしても、今年もこうやって前を向いて新しい年を迎えられたことを私自身は素直に嬉しくおもう。
 
とくに今年は多くの人が前を向いて希望を持ちたい年なのではないでしょうか。
皆さんにとって輝きに満ちた年となりますように。
 
本年もどうぞよろしくお願いします。
 
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急な話で物事がいろいろと動いて、気付いたらクリスマスには香港にきていた。

ずいぶん前にきた昔の記憶が薄れたのか、街がかわったのか、行ったことがあると思い出せる場所が随分とすくない。

香港ではクリスマスにライトアップされた夜景をみに人々がたくさん街に繰り出していた。

もちろん日本でも街が賑やかにはなるけど、香港の場合いく場所がかぎられているからか本当にすごい人で、交通規制もされて日本のお祭りかお正月のような賑わいになっていた。

サンタの帽子をかぶったり、光るヘアバンドをつけてたり、思い思いに楽しんでいて、なんだか楽しい。

 

そんななか私は、「打小人(ダーシウヤン)」という儀式に街中で出会った。

日本の藁人形のようなもので、嫌いな人を呪ってくれたり、自分に憑いた呪いを祓ってくれたりするのだそうだ。

なんとなく恐いような気がするのだけど、街中で堂々とオープンに行われている。

 

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儀式をしてくれるのは年老いた女性で、嫌いな(呪いをかけたい)人の名前を書いた紙を女性用の靴のヒールでたたいてボロボロにして、火にかけてまじないを唱える。

最近はあまり見かけなくなったと友人が言っていたのでめずらしいのか、見物人ができたりするなか、だれかに呪いをかけたりするわけだ。

なんだか不思議だし奇妙だし面白そうだけど、日本では「人を呪わば穴ふたつ」っていうし、そもそも呪いをかけたい相手なんていないしなあ、と悩んでいると、観光客らしき外国人がやってもらっている。 だれかの名前をかいたの?と訊くと、「もちろん。」と言って某前大統領の名前を書いたのらしい。

おばちゃんがやけに丁寧に叩いているのを指差して「彼女も彼のことが嫌いらしい。」と冗談をいっていた。

なるほどね、そんな手があったのね、と思いながらも、有名人はこんなところでいろんな人に呪われたら大変だな、とおもう。

そんなわけで、私は呪いたい相手はいないのだけど、厄払い的に憑き物をおとしてください、とだけお願いして軽い気持ちでやってもらうことにした。

前回の内容でもかいたように、なんだか不思議な出来事もつづいたことだし、悪い流れは祓い落としてもらって新しい年を迎えるのもよいかな、ということで。

優しそうなおばちゃんをえらんで、私の希望を友人につたえてもらうと、なんだかとても丁寧におまじないを唱えてくれた。

広東語で私には意味の分からないそのおまじないのリズムを聞きながら炎を眺めていると、今年あったいろいろな出来事がすこし走馬灯のように頭をよぎる。

 

今年は多くの人にとって大変な年であったろうとおもう。

多くの人に起こった災いは洗い流されて、新しい気持ちで皆が新年を迎えられますように。

 

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前回いったん延期した話につき、やはり家族のプライベートなことなので、と迷ったのだけど、今年も終わりに差し掛かり、なんだかさっぱり区切りになるような気もするので、そのまま書いてみようとおもう。
 
じつは島根への旅の大きな原動力は父の病気だった。
二ヶ月ほど前に急に発見されたその病は、偶然見つかったのだから初期であろうという家族の期待を裏切り、緊急で手術をすることが決まり、つとめて明るく振る舞う母をよそに私の心は不安と楽天的であろうとする自分とが闘っていた。
 
子供の頃からどこか心配症だった。
なにか起こってほしくないことは、いちど起こった事態を想定して噛み締めてからでないとその不安を払拭することができないタチで、いつも最悪な状況を想像して事が起こる前から胸を痛めていた気がする。
なぜか、そうすれば、最悪なことは避けてこられた気がするのだ。
たとえ多少よくないことがあったとしても、想像したうちの最悪なことよりは ”良かった” とおもえる。
そんな思考の防御態勢が身に付いてしまって、変な言い方だけど最終的には楽天的なのかもしれない。
 
たまたま周りで不幸がつづいていたこともあり、この時期、’人の死’について’失う’とはどういうことなのか、自分ではどうすることもできない抗えない出来事を’受け入れる’ということについて、ひととおり思いをめぐらせずにはいられなかった。
 
島根に向かう気持ちを後押ししたのは、ちょうど手術前のタイミングで父のことを神頼みしようと思ったのもあって、病気や怪我に効くという日御碕神社の御神砂を偶然みつけていただくことができた時は、まったく予備知識もなかったので、導かれたようでとても嬉しかった。
そのお護りの効果か、父の手術は無事成功し順調な回復ぶりで、まだ今後も経過をみていく状況ではあるとはいえ少し安心できた今、あのひと月くらいの間に家族に起こった出来事がなんだったのか、不思議におもわずにはいられない。
 
自分自身、展示の準備のやり取りに加えていろいろと仕事が重なり余裕がなくなっていたときに父の病を知ったので、今までになく心のゆとりを失っていたようにおもう。そして離れて暮らす実家でも、たまたま仕事をいくつか抱えて忙しい時期だったようで、母は大変そうだった。
まずはそんな時にかぎって、というかたちでモノが壊れはじめ、実家のパソコンの調子がわるくなり、私の携帯は突然フリーズしたまま動かなくなり、さらに実家では納期の数日前に版下を出そうとしたらプリンターが壊れたという。
たぶん電子機器というのはじつは人の波動にとても敏感なのではないか、とさいきん真面目におもう。
 
そして、島根で手に入れた御守りを渡しにその足で実家に寄ると、次の日に父が交通事故をおこした。
もしかしたら手術をまえに父自身も動揺していたのかもしれない。
でも不思議なのは、この時の父は私が買ってきた御守り(御神砂ではないもの)を殊勝にも身につけたばかりで出かけたのである。
神様というものには感謝するものだと信じている私は、たしかに車は全損ほどの事故なのに本人は傷ひとつないので、守ってくれたのだろう、とありがたく思うのだけど、でもやっぱり、そもそも事故をしないほうがいいのでは、と腑に落ちない気もする。数十年運転をしつづけていて大きな事故をしたことがない人なのに、どうしてこのタイミングなのだろうとおもう。
 
「きっと守ってくれたんだよ。」とも「モノが壊れるのは身代わりになってくれたんだよ。」とも言われるし、はたまた「そんなものは全くの偶然だ。」という人もいる。
 
ただ、じつは以前にも私が都内でパワースポットだと言われている神社にお参りに行った直後に、これまた数十年運転していて無事故だった母が事故を起したことがあったので、なにか意味がある気がしてならない。
だれか分かる人がいたらおしえてほしいくらいだ。
そのときも、大きな事故のわりに奇跡的なように本人は無事だったので、きっと守られているのだとはおもうのだけど、なにか私のお参りの仕方がいけないのだろうか。。
その話を家族にすると「それなら今度は宝くじを買えば ’当たる’ のかしら。」とわらっていたので、家族はずいぶんと楽天的なのでとても救われる。
そしてどこまでも良い方に考えるので、不幸中の幸いをみつけては「そばにあった看板に当たらなくてよかった」「落ちたのが田んぼでよかった」と言って、なにより本人が無事でよかったというところに落ち着くようだ。私も素直に感謝することにした。
 
ここまでくると、もうなんだか可笑しくなってきて、きっと幾つかのツイてない出来事たちは、すべて父の手術がうまくいくための犠牲のようなものだと受け止めることにした。
そのくらいで済んでくれれば、全然いい。
そうやって明るく笑い飛ばした電話口で、母が「今度は洗濯機の調子がおかしい。」と言っていたのだった…。
 
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前回のブログで足元だけ登場した陶芸家さんから、東京での個展のご案内がとどいた。
先週、祝日でブログがお休みであることを忘れてべつの内容を書いていたのだけど、
このタイミングで届いたことにまたご縁をかんじるので、今回はこちらをご紹介させてください。

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島根を代表する陶芸家の安部宏さん。
息子さんの太一さんも陶芸家で、もともとそちらの作品を本で拝見して工房にお邪魔するきっかけになったのだけど、そこで暖かい笑顔で迎えてくださったのはお父様のほうだった。
とても気さくに家族のお話などしてくださり、きっと息子さんもふくめて素敵な家族なんだろうなと想像しながら、居心地のいい時間を過ごさせてもらった。
もともと彫刻家をされていたという安部さんは、芸術に親しんで好きなことをして生きているとこんな風に歳をとれるのかなあと理想的におもうような(年上の、そして立派な先生に失礼な表現でなければいいのだけど)どこか少年の部分を残したようにチャーミングで素敵な方で、まったく飾らない気負いのない人柄を表したような生活が感じられるその空間では、無造作に置かれた作品の陶器たちも、たまたまもらったという椎茸を新聞紙の上に干しているのも、すべてがやわらかい光につつまれて、絵になってみえるのだった。
 

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そんな陶芸家「安部宏」さんの作陶展のご案内です。
お正月のしつらい
2011年12月7日(水)~ 12月12日(月)
11:00AM~7:00PM (最終日5:00PM)
ギャラリーおかりや
東京都中央区銀座4-3-5 銀座AHビルB2F
http://www.g-okariya.co.jp/

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島根にある出雲大社は縁結びの神様で有名らしい。
縁というのは恋愛に限らず、人との出会いという意味でさっそく効果があったようにおもう。

ある陶芸家さん(*とてもご紹介をしたいのですが本人にブログ掲載の確認がとれていないので、今回は名前を伏せておきます。)を訪ねて、工房にお邪魔してコーヒーをご馳走になりながら、お話させていただいた。
それは本当に思いつきで、偶然叶った出来事なのだけど、まるで引き寄せられたかのように魅力的な人柄と居心地のよい空間に、なにをしにきたのかも忘れてただただ話し込んでしまい、友人と2人で帰るころにはとても癒されていて、なぜだか「また来ます。」と言っていた。
そんなふうに突然訪ねて行った私たちを暖かくニコニコと迎えてくださったその陶芸家さんは、これから私たちが行こうとしていた写真美術館の植田正治さんもここによくきてひたすら土を撮っていたんだよ、と話してくださった。

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私のなかでの旅は一時的で一方向に向かうことがおおい。
だけどそこで、また戻ってきたいと思う場所に出会えたかどうかが、その旅の意義を左右しているかのようにもおもう。
島根に、また戻ってきたい場所をみつけて、もうそこは見知らぬ縁のない土地ではなくなっていた。

そうした縁というのは繋がるもので、友人が松江でいちばんお気に入りだというギャラリーの方とその陶芸家さんがお知り合いであることがわかり、そのお店へも最終日に電車にのるまでのギリギリの時間に訪ねることができた。

松江市内のとても味のある古いビルの最上階にあるギャラリーショップ「SOUKA草花」さんも、ここへ来るためだけにまた島根に来たいとおもうような素敵な品揃えと空間で、オーナーの女鹿田さんの人柄そのままに穏やかで柔らかい時間の流れる場所だった。
いつか、こちらのご縁もなにかの形になったらいいな、と淡い思いを抱きながら、島根を後にした。

ぜひ島根を訪れた際に(またはお近くの方に)お薦めです。
ギャラリー「SOUKA 草花」さん
12:00 - 19:00
木、金、不定休
島根県松江市白潟本町33番地 出雲ビル4階
TEL:0852-27-0933
http://souka-kusahana.com/

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先々週、前回のブログで紹介したお友達のお芝居を観に行って来た。
彼女が作・演出を手がけるお芝居を観るのは初めてだったのでまだ観る前は紹介もうまく書けなかったのだけど、すごくよかった。お芝居のことを語れるほど知識もないので、薄っぺらな感想になってしまうけど、なんだか予言的だったり心にグサリとくる台詞がちりばめられてて、泣けてしまった。現実と死後(?)の世界とが交錯した不思議な話でありながら、私は友人である作者が普段見ている何気ないものたちがこんな風にお芝居として物語として昇華していく様に感動してしまった。

心に残ったフレーズに「私たちは皆キラキラ輝く光に包まれて祝福されていて自由に生きていいの。」というような内容の台詞があった。「ただ、あまりに広くて長くてキラキラした道だから、時々まぶしくて迷ってしまうことがあるだけ。」と言っていたような気がする。(メモをとったわけではないので、間違えていたらすみません。)

そのお芝居をみた次の日、私は島根に向かった。
月末の展示を控えていろいろなことが重なって体力的にも精神的にもハードな日々が続いていたので、まだ余裕はなかったのだけど、かねてから島根にいる友人に誘われていて10月の神在月に行きたいと思っていたので、行くなら今しかないと強行で決めて高速バスに飛び乗った。

東京から島根まで13時間の高速バスは、友人に話しても驚かれたし私もさすがにキツいかなと思ったのだけど、よく考えればラオスからベトナムまで30時間バスでかかったこともあるし、ぜんぜん寝れなかったけれど、やはり夜中に移動できるのは効率的だとおもう。
昨日の夜まで東京にいたのに、次の朝にはもう出雲大社にいる、っていうのは、なんだかちょっと時空のトンネルをくぐってワープしてきたような不思議な感覚で、降り立ってからも島根の美しい景色をみるたびにどこか違う星にきているかのような感覚を楽しめた。
肝心の神在月は、完全な勉強不足と勘違いで旧暦の10月はじつは現在の11月であり、出雲大社に全国の神様はまだ来ていなかった…という拍子抜けな事実を着いてから知ったのだけど、私には神在月以外にもどうしても今行きたかった理由があり、友人の勧めで連れて行ってもらった海沿いの日御碕神社では、外にはおいていない御身砂をいただき、日本海に沈む綺麗な夕日を見ることができて、心の底から今回来れたことに感謝していた。

日御碕灯台のある岬から見える夕日の光に包まれながら、友人のお芝居の台詞を思い出していた。
この世界は本当にキラキラと輝いていて、まるでなにかにまもられているような幸福な気持ちになった。
少しばかり心に抱えていた不安や悲観的なイメージが霽れていくようにかんじた。

*****
このブログを始めるときには、過去の旅の思い出を書こうと漠然とイメージしていてこの時期はハロウィンの話でもと思っていたのに、やはり現在のいま感じた感動にはかなわないところもあって、どんどん取り留めがなくなっていくけれど…、今年のちょうどハロウィンの時期にアートフェアに参加しますので、お知らせいたします。
私の作品は10月28日から30日まで(October Side)、Wall No.14 (Unseal Gallery)にて展示されます。


エマージング・ディレクターズ・アートフェア 「ULTRA004」

(1)October Side:2010年10月28日 金曜 - 30日 日曜
(2)November Side:2010年11月1日 火曜 - 3日 木曜祝日

 11:00 - 20:00
 10月31日(日)は展示替えのためお休み。

SPIRAL
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23
tel : 03-3498-1171
WEB : http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2011/10/-ultra004.html

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NYにいた頃、ユニオンスクエアのマーケットで、
秋になるとホットアップルサイダーを買ってよく飲んだ。
この時期になるとシナモンの効いたあの味がとても恋しくなる。

私はこの季節のNYがいちばん好きだったかもしれない。
最初の年は暖冬で、ゆるやかな秋の陽気がつづいてセントラルパークの紅葉がとても綺麗だった。
写真の授業の宿題もあったりして、何度かカメラを持ってピクニックがてら撮影に行ったけど、
街の真ん中に深い自然があって、森に行って帰って来たような充足感があって、今でもこの時の赤く染まった落ち葉に包まれる感覚を心地よくおもいだす。

これから始まる生活への高揚感もあったかもしれない。
まだ知り合いもそんなに多くない街で、自然に分け入ると、どこか物悲しくもあるのだけど、孤独というよりは自由をかんじて、その感覚が好きだった。

それからだろうか、私は秋にピクニックがしたくなる。
空気が澄んでくるこの季節に自然のなかで深呼吸をすると、気持ちも澄んでくるかんじがする。
この時期の儀式のように毎年みてしまう「ツインピークス」のピクニックのシーンが大好きで、
バスケットに厚めのブランケットと暖かいコーヒーと入れてピクニックに行きたくなる。

食欲はわかるとして、なぜ’芸術’の秋なのかってしっかりとした由来をしらないけど、
やっぱり’自然’のキャンバスが赤や黄色に染まる、ことから来ているのだろうか?
なぜか個人的にも自然と美術館に行きたくなったり、お芝居を観に行ってしまったりするから、単純だけど、そんな秋が好きだなとおもう。

そこで、そんな芸術の秋にふさわしい今週末のお友達のお芝居の紹介をさせてください。
月末には私自身もアートフェアに作品を展示予定で、まさしく芸術に向き合う日々なのです。

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**********
SWANNY(スワニー)第一回公演
「わたしのエプロン」 http://swanny.jp/
2011年10月14日(金)〜16日(日)
会場 SARAVAH東京 

 

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